日本古代史の謎
建国記念日は、紀元前660年のこの日に初代天皇である神武天皇が即位した日を祝う国民の祝日である。
記紀によると神武天皇は日向より東征し、大和を征服した。
ちなみに古事記は712年、日本書紀は720年完成なので、1300年は前の話である。
天皇の実在性に関しては15代の応神天皇(270~310年) は実在したであろうと言われており、
それ以前は創作されたものも多いと言う。
日本に千字文と論語がもたらされ、漢字が伝わったのは応神天皇の時代とされる。
もっとも今の千字文が完成したのは500年以降なので、それ以前の教本と言うことなのだろう。
一方で中国の正史で日本が最初に登場するのは、
75~88年あたりに編纂された漢書の地理志である。
漢書は紀元前209年の陳勝・呉広の乱~25年の王莽政権までを記述している。
いわく、
夫れ楽浪海中に倭人有り。分れて百余国と為る。歳時を以て来り献見すと云ふ。
次いで後漢書東夷伝…ただし成立したのは398~445年なので、
280~297年には成立した三国志の方が古く、こちらを下敷きにした記述が多い。
後漢書は14年の赤眉の乱~220年献帝が曹丕に禅譲するまでを記述している。
57年に倭の奴国が朝貢してきたので光武帝が金印を与えた。
107年に倭国王帥升が朝貢してきた。
146~189年に倭国大乱。
…と言うのが目新しい。
そして三国志魏書烏丸鮮卑東夷伝倭人条…通称、魏志倭人伝。
三国志は184年の黄巾の乱~280年の孫呉の滅亡までを記述している。
いわく、
100カ国くらいに別れていた。
韓国→北岸狗邪韓国→対馬国→一大国→
末盧国→伊都国→奴国→投馬国→邪馬台国→
斯馬国→己百支国→伊邪国→郡支国→彌奴国→
好古都国→不呼国→姐奴国→対蘇国→蘇奴国→
呼邑国→華奴蘇奴国→鬼国→為吾国→鬼奴国→
邪馬国→躬臣国→巴利国→支惟国→烏奴国→奴国
何故か奴国が2つあるが一周してきたということだろうか…
末盧国以降が邪馬台国に服属していたが、
その先の狗奴国とは同じ倭人だったが戦争状態だった。
元々は男の王がいて、七、八十年ほど内戦をしていたが、
女性の卑弥呼を王にしたらおさまった。
卑弥呼は鬼道に仕え、独身で弟がいた。
238年に卑弥呼が難升米等を使いによこし、
曹操の孫の曹叡が謁見した。
247年に卑弥呼が死ぬと男の王がたったが、
内乱が起こり1000人以上死んだので、
卑弥呼の親戚の壱与(13歳)を女王にしたらおさまった。
次の晋書は成立648年と遅いが、
倭の五王の最初の一人、讃が登場する。
413年に朝貢したとある。
記紀より讃は17代履中天皇では無いかと言われているが、諸説ある。
卑弥呼の時代が247年、
讃が朝貢したのが413年…
ずいぶん時間が空いてしまったが、
その間を埋める資料として高句麗の好太王碑がある。
399年に百済が倭と同盟。高句麗の好太王が百済討伐。新羅、倭に降伏。
400年に好太王新羅救出、倭は任那に撤退、追撃するも任那の安羅軍が新羅占領。
404年に倭が好太王に大敗。
記紀には200~269年(320~389年とも)神功皇后(14代仲哀天皇の皇后)が、
神(住吉大神)の啓示を受けて三韓征伐する話が出てくる。
しかし仲哀天皇の父親は倭建命であり、神功皇后も創作が疑われている。
一方で399~400年と言うと記紀で言えば16代仁徳天皇~履中天皇の在位期間であり、
仁徳天皇陵の巨大さを考えれば不可能では無さそうだ。
…さて…卑弥呼とは何者だったのか?
200年説の場合は、神功皇后のような気がしないでもないが、
卑弥呼は独身であり、神功皇后は269年まで生きたことになっている。
卑弥呼が戦い、魏に調停を頼んだ狗奴国が三韓と言うことも無さそうだ。
また、朝鮮の資料を見ると倭がしきりに朝鮮半島で軍事活動を行ったのは、300~400年。
その後も任那(滅亡後は百済)を中心に朝鮮半島に影響力を持ち続け、
512・3年の百済への任那四県割譲(26代継体天皇)
562年の任那滅亡(29代欽明天皇、宇佐八幡で弓を撃つ…やぶさめのはじまり)
660年の唐・新羅連合軍による百済滅亡(35代皇極天皇)
663年の唐・新羅連合軍と百済残党・倭国連合軍の白村江の戦い(36代天智天皇)
で決定的敗北をするまで続いたが、
好太王碑の200年も前から戦争していたとは考えにくい。
また、卑弥呼が即位するまでは七、八十年内乱をしていた。
長期間内乱をしていた国が海外遠征する国力があるのだろうか?
それも国が統一されていない状態で…
まぁ秀吉の朝鮮出兵も似たような状況ではあったが。
そして邪馬台国はどこにあったのか?
一般に畿内説と九州説がある。
魏志倭人伝はずっと南に向かってるので九州と言うことになるが、
距離がおかしい。
実は東に向かっていたとすると畿内説。
神武天皇説だと卑弥呼の800年も前に九州から奈良に都を移したことになっている。
ゆえに畿内じゃないとおかしいことになる。
神武の後に活躍する女性と言うとやっぱり神功皇后(女帝ではなかったことになっているが)で、
その次はずっと後の33代推古天皇であり、隋の煬帝に朝貢(?)している。
学術的には、
昔は吉野ヶ里遺跡などで九州説が優勢だったが、
最近では奈良の纒向遺跡が卑弥呼の宮殿かと言われているようだ。
辻褄を合わせると、
邪馬台国は畿内。
当時は卑弥呼を中心とした小国連合。
146~189年倭国大乱開始。
7~80年後卑弥呼即位で終結。
卑弥呼の時代神武(仮)は有力な九州の国王。
247年卑弥呼の死後東征。
卑弥呼の親戚の壱与を傀儡の王に立てる。
270年応神天皇即位
100年かけて大王家の権力増強。
仁徳天皇が朝鮮半島に攻め込み新羅を属国化するも好太王に撃破される。
記紀において倭国大乱の記述が無いのは、
天皇家とは関係の無い歴史だから…
あるいは、
卑弥呼は九州出身で弟が神武。
倭国大乱がいわゆる神武の東征で、
神武の東征は数世代かけた征服戦争であり、
戦後卑弥呼が名目上王となる。
しかし、この場合、記紀に女王の記述が無いのと、
女王死後の混乱の記述が無いのが不自然だ…
卑弥呼は天照大神であり、
247年卑弥呼が死に、
国民が嘆き悲しみ、
生まれ変わりの壱与が即位する。
…これは天の岩戸を意味してるのではと言う説もあるが、
時代考証がおかしい…
なにしろ30年後の270年には実在する可能性が高い応神天皇が即位してしまうのだ…
夜麻登波 久尓能麻本呂婆
多多那豆久 阿袁加岐
夜麻碁母禮流 夜麻登志宇流波斯
倭は 国のまほろば
たたなづく 青垣
山隠れる 倭しうるはし
倭建命も漢字が入ってくる前なのに漢字で詩詠んでるし…
この倭建命が東国遠征に際し泣きつき、
天叢雲剣を授けた倭姫命が卑弥呼なのか…
…とすると邪馬台国は伊勢と言うことになる。
確かに伊勢の斎宮は代々天皇家の未婚の女性だった。
しかし、曹叡は卑弥呼の使いを謁見したのだ。
斎宮が12代景行天皇を差し置いて単独で魏に使いを送るなどと言うことがあるだろうか…
…あるいは倭建命の戦争が倭国大乱なのか…
そしてやはり神功皇后が卑弥呼であり、魏に使いを送ったのが三韓征伐になったのか…
そして一部斎宮と話が混同してるとか…
…これが一番記紀に沿った無難な解釈なのかもしれない。
じゃあ神武の東征はいつだったのかと言う疑問が残るが…
さて本日の写真は雪の写真…
先日撮った写真だが、またも大雪が降ってしまった…
高速道路に車が無い…
幾何学的な轍の跡
凍りつく雪
目に蜜柑、鼻にニンジン、手を箒にした雪だるま…伝統的だ…